目利き・本質・美味しんぼ
古物を扱う以上、やはり目利きになりたいものです。
というか、ならなくてはいけない。
私は美味しんぼという漫画が好きで、小学生の頃からくりかえし愛読しています。
卑近な例で恐縮ですと言いたいところですが、別に漫画だからといって何も卑近なことはない。面白いものは面白いのだ。
原作者のバイアスが強くかかっている面があるので一概に賛同しかねる点もややありますが、この漫画が繰り返し自問しているテーマは、「美食を求めることと軽薄なグルメごっことは何が違うのか」という点。
主人公たちが新聞記者という設定上、社会問題等に言及することも多々あり、美味しい物を食べて終わり、という話ではないのですが、常に提示されるのは「美味な物を求めることは、人がよりよく生きることの本質に繋がる」というもの。
私は特にグルメというわけでもないので、料理紹介などについては「美味しそうだな」といった表面的な感想で留まるのですが、にもかかわらずとても愛読しております。
なぜか。
私がこの漫画から感じ取る物は、
「本物とそうでない物を見極めることの大切さと難しさ」
というところにあるからです。
世の中には本物によく似たまがい物、雰囲気や耳障りはいいけれど、本質に迫っていない物がたくさんあると思います。
B級な物や変な物を、斜めから見て楽しむ、という行為は確かに愉快なことですが、それは本筋の美や価値を理解してからでないとただの見当違いになると思います。
評価の低かった物を新しい角度から再評価する、ということは大切なことだと思いますが、本質的に価値の低い物をことさらに持ち上げて、的外れな評価を与える、というのは正しいことではないと思います。
ここ最近、いくつかの展示や作品を見る機会が続き、ふとそんなことを思いました。
おわり