巻き込まれる鐘成さん

(タイトルは愛読している池崎書店さんのブログのテイストを意識しました)

先日、自宅から駐車場に向かって歩いていると、その道中に暁鐘成の墓碑がありました。

(写真はネット上から拝借)

我が家からは2〜3分の場所なのに今までまったく知らず、偶然に発見。

せっかくなので、大変浅薄な思いつきながら鐘成について調べてみました。既知の事柄の羅列かと思いますが、浅学者の勉強と備忘の為のことゆえお許し下さい。

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■暁鐘成(寛政5〜万延元年)
江戸後期の戯作者・絵師。本名は木村明啓弥四郎。号は曉晴・鶏鳴舎・鹿廼家一禅など多数。
鹿廼家の号は鹿を飼っていたことに由来するそうです。

 造り醤油屋(という言葉があるのか)のお妾さんの子として生まれ、享保頃から読本や滑稽本、啓蒙書や名所図会など、多数の著作を残した人物。国書総目録・古典籍総合目録によれば著した本・関わった本は合わせて104種、内に絵師として筆を振るった物も多数含む。

天保山名所図会」(2巻2冊・天保6刊)、「淡路国名所図会」(5巻5冊・慶應2刊)や、「浪華の賑ひ」(3編3冊・安政文久)、「淀川両岸一覧」(上り船・下り船計4冊)など、大阪で今も人気がある著書も多く、これまで私にとっては蒹葭堂・大塩平八郎・松川半山などと同じく、”大阪で有名な江戸時代の人”という大変雑な括りでカテゴライズされていましたが、意外にもご近所さんだったわけです。

 一時期は著作業と並行して、上記の号と同じ屋号の「鹿の家」というお菓子や土産物などを扱う店を経営していた様ですが、江戸時代最後の大改革の奢侈禁止令により閉店に追い込まれることに。

 また、晩年、妻のおりうの親戚を丹波まで尋ねた際に、土地の百姓に頼まれて百姓一揆(朽木騒動)の嘆願書を書いたことを咎められ投獄。一応無罪放免となった様ですが、その心労のためか、わずか20日後に急死。(毒殺との説もあるそうです)

「摂津名所図絵大成」は、(国書総目録に漏れが無ければ)105作目となるはずだったのですが、その不慮の死によりほぼ完成していたにも関わらず未刊のまま月日は流れ、67年後の昭和2年にその稿本が見つかり、「浪華叢書」に収録されたとのこと。

 また、大変愛犬家だった様で、「犬狗養畜伝」(刊年不明・1冊本)・「古今霊獣譚奇」(別名「犬農草紙」6巻6冊・天保10刊)という犬の飼育法を書いた著書もあり、飼い犬の皓(シロ)が死んだ際には墓を作り、その死を悼む漢文を墓碑に刻んだそうです。

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 天保の改革での閉店、百姓一揆での投獄など、色々なことに巻き込まれるタイプだったらしく、愛犬皓の墓についても、奈良へ向かう道中で賊に襲われたところを皓が身代わりになってくれたことが建立の大きな理由とか。

 そういった観点から見ると、個人的に大変興味をそそられる人物でした。