豊国

先日、久しぶりに豊国の浮世絵を買ったのですが、
何度調べても、豊国二代〜四代がごちゃごちゃになる…

この機会にきっちり把握しておきたいと思います。
(参考資料・原色浮世絵大百科事典 大修館書店)

元号の後に西暦が入るのが素人くさいですがご勘弁を。

■初代豊国 作画期・天明8(1788)〜文政7(1825)

■二代豊国 作画期・文政6(1824)頃〜天保5(1834)頃
 画号=豊重・一龍斎(初期)豊国二代・一瑛斎・一陽斎・後素亭・満穂庵

■三代豊国 作画期・文化4(1807)〜元治元(1864)頃
 画号=国貞・一雄斎・五渡亭・月波楼・琴雷舎・香蝶楼・豊国二代・一陽斎・英一螮(たい)・国貞舎豊国・北梅戸・富眺山人・雛獅豊国・喜翁・不器用又平(隠号)

この人が話をややこしくしていて、初代国貞としても多くの作品があるところに、英一蝶の元に私淑しており、英一珪の弟子であり、かつ初代豊国の門人でもある。そして、二代を襲名した豊重は弟弟子であったので、おそらくここに感情のもつれがあり、初代豊国の意向を無視して二代を自称。しかし、この国貞豊国はやり手で画力もあったため、豊重豊国が短命だったのに対し、60年近く筆を持ち続け、工房を盛り立てた。

後年、この呼称問題を整理するために、豊重豊国を二代豊国(または本郷に住んでいたため本郷豊国)、国貞豊国を三代(または亀戸豊国)、と呼び習わすことになったが、

■四代豊国 作画期・嘉永3(1850)〜明治初期
 画号 国政三代・一寿斎・国貞二代・梅蝶楼・豊国三代・一陽斎・宝来舎

という存在もあり、彼は国貞豊国の娘婿であったため、義父同様、本来の二代・豊重豊国を無視したのでさらに話はややこしくなる。(明治の浮世絵に「三代豊国」と銘があるのはこの人の作と思われるが、現在は四代豊国という呼称で落ち着いている)

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と、整理してみればややこしくも、把握できないほどでは無い気がするのですが、実際の浮世絵には(初代かそれ以外かは比較的わかりやすいものの)「豊国」とだけあるものも多く、また号が記されていても、たとえば「一陽斎」という号は二代〜四代まで使用しており、作画期も近いため、さてどの豊国か、という決め手がなかなか見つかりにくかったりするわけです。

シリーズものなら、絵ごとに号を変えていることもあるので、その組み合わせによって確定できることもあるのですが…

版元や彫師で判断、というのもなかなか難しいものです。

この写真だけでわかる人は浮世絵博士。
さて、何代でしょうか?