アメリカ旅行⑥ラスベガス③

さて、天神さんの古本まつりも始まっているというのに告知もせず、本当にこれは古書店が営業の為にやっているブログなのかいよいよわからなくなってきていますが、アメリカ旅行最後の記録。

何はともあれ、来た以上はギャンブル。ベガスに到着してすぐにメンバーはミニマム5ドルのルーレットに座ったが、自分はこの時点ではルーレットにあまり興味が無く、前述の通りブラックジャックをやって、ディーラーの優しさも手伝って200ドルほど勝ち、その後別のカジノのバカラで負けがこんできたヤケクソの一手で1000ドルほど勝ったものの、勝ち続けられる気がしないので、その場を離れる。

翌日の日程はグランドキャニオン遊覧飛行。自分は極度の高所恐怖症の為、これは辞退して、一人ホテルにいることに。

軍資金が無いと明日一日棒に振ることになる、と深夜によく知りもしないルーレットの筐体に座ったのが運のツキ。

ディーラーでは無く、中央に大きなモニターのあるコンピュータによるルーレットで、1ドルからベット出来るので、これは気楽に時間を潰せるだろうと思ったのだが、ここで「明日の軍資金をコツコツ確実に稼ぎたい」と思ってしまったのだ。

そもそもギャンブルで「コツコツ確実に稼ぐ」等という発想が見当違いで、そんなことが出来るのならカジノなどが発展繁栄するわけが無いのである。

しかし、ここで私が考えたのがいわゆる「マーチンゲール法」。(この名称は後から知った)

要するに、負けたら賭け金を倍にしていく、というシンプルなやり方で、机上の計算では賭け続ける限りいつかは勝てるはずである。

これを自分で思いついた時は、朝まで粘り続ければ額はともかく確実に元手を増やせるはずだと思った。事実、最初の数回は確実に勝てた。ルーレットは基本的には2分の1なので、数字に賭けずに赤か黒どちらかに賭け続ければ、何回かに一度は必ず勝てるはずなのだ。

赤に1ドル賭ける。赤が来て2ドルになる。もう一度赤に1ドル賭ける。黒。次は倍にして赤に2ドル。黒。赤に4ドル、赤。8ドルになる、といった具合に、3歩進んで2歩下がるの要領で少しずつチップは増えていった。

そんな調子で50ドルほど増え、すっかり必勝法を見つけた気分になって、「ギャンブラーという奴らはこういうコツコツしたことがでけんからあかんのや。その点わいは違うで」と、この方法を疑いもせず実践し続けた。

赤に1ドル。黒。赤に2ドル。黒。赤に4ドル。黒。赤に8ドル。黒。赤に16ドル。黒。あれ…? 赤に32ドル。黒…

確率的にいって、黒ばかりずっと続くということは無いので、黒が数回続けば赤が来るものである。しかしそれはあくまで確率であって、大局的に見れば2分の1でも、数時間に限ってみれば異常な偏りも起こるのだった。

赤に64ドル。黒。いやいや、赤に128ドル。黒。あ、赤に256ドル…

諦めたらそこで試合終了。いつかは勝てるはずなのだ。

赤に512ドル。黒。

赤に1024ドル。黒…

数分の間に100円は10万円になり、次の2024ドルが用意出来ず撃沈。
10回連続で黒が来て、ここでやめたら男がすたると、なけなしの残り300ドルを赤に突っ込んだがまた黒。自分が降りた次のターンで赤になった。

残る3ドルを思うままに賭けて21ドルになったところでハッと我に帰り、台を離れた。

はっきり言って頭は完全に痺れており、街頭インタビューで今一番欲しいものを聞かれたら「お金よりもタイムマシーンです」と答えてしまいそうなわけのわからない状態。

時刻は午前1時。LINEを見ると他のメンバーは皆、数分前に部屋に戻った様だ。グランドキャニオンへは早朝5時出発である。

自分も精魂尽き果ててホテルの部屋に戻ると、Sさんがバッチリ着替えを済ませて眠っている。きっとギリギリまで寝られる様にサッと着替えてすぐ寝たのだろう。この人らしいな。と思っていると、自分が帰って来た音で起こしてしまったらしく、ガバッと起き上がって、数秒で支度を済ませ、「目ぇつぶったと思ったら一瞬で朝やわ。ほな!」と言ってそそくさと部屋を出ようとするので慌てて「ほんまに目をつぶったばっかりですよ、まだ夜ですよ」というと「お前アホやろ」と何故か怒られたと思ったら、一瞬でまた眠りにつかれた。

少し気分が和んだものの、まだ興奮が残っており、眠れずにスマホでルーレットの攻略法を朝まで見続けた。

長いのでまた続く。

アメリカ旅行⑥ラスベガス②

さて、ギャンブルのこともなかなか書きにくいのですっかり更新が滞ってしまいましたが、ラスベガス。

賭け事を除いては食とショーしかない街。
シスコではあまり食べなかった、ジ・アメリカンなステーキを食した。

(蛇足ながら、サンフランシスコをシスコと略すのは日本の一部でだけらしく、friscoという略称はあるものの、地元っ子はこう呼ばれるのをよく思わないらしい。)

ステーキ①レストラン名失念

ステーキ②パラッツォ・カルネヴィーノ

どちらも無駄な脂が無く味付けもシンプルでとても美味。やはりそこはビーフイーターの国。霜降り信仰なんて食牛後進国日本だけである。

ここでもギャルソンがナイスガイだった。

 ***

そしてショー。

ショー①マイケル・ジャクソン ONE

ショー②シルク・ドゥ・ソレイユ KA

ONEはシルク・ドゥ・ソレイユによるマイケルの曲を使ったショー。

自分はマイケル・ジャクソンについては、高校生くらいまでは世間のほとんどの人と同じく、「ポップアイコン」「奇人変人」というくらいの認識だったのだが、NAS「it ain't hard to tell」などのヒップホップ方面から後追いして積極的に聴く様になって曲は好きになり、しばらく経って(一部では大変有名な)「マイケル・ジャクソン小沢一郎ほぼ同一人物説」で人間性についても興味が強くなり、一連のスキャンダルについても懐疑的に見る様になり、今ではいちアーティストとして間違いなく歴史に残る才能であり、人間としても骨のある人物だと思っている。

It ain't hard to tell/NAS

(言わずと知れたHIPHOP史上に輝く名曲。マイケルの「Human nature」をサンプリングしている。蛇足だがサンプリングというものがクリエイティブな行為であるということを示す仕上がりだと思う)

Human Nature

そこでこのショーだが、おそらくかなり意識的に、「誰もマイケル・ジャクソンにはなれない」というコンセプトで作っていると思われ、それはちゃんとマイケルを愛している人が指揮を執っているであろう優れた判断なのだとは思うが、であるがゆえに中心を欠いている様にしか見えないのが残念だった。

曲に合わせてダンスや演出を見せるのだが、バックダンサーだけのショーを見せられている様で、主催者が意識的に回避したと思われる、「そっくりさんでもいいからマイケルが出てくる」ということを望む気分になってしまった。

終盤に「man in the mirror」に合わせて生前の映像をホログラフ化したと思われる黄金に輝くマイケルが歌い踊るくだりがあったが、そこはとても感動した。
「誰もマイケル・ジャクソンにはなれない」ということが本当にコンセプトだと仮定するならば、皮肉にもそれは証明されてしまった。「マイケルが出ないのなら退屈である」という形で。

鑑賞後のMさんの「本当にすごい人を亡くしたんやな」という言葉が印象的だった。

 ***

KAも同じくシルク・ドゥ・ソレイユによるもので、火を使ったショーが売り。
(同時に別の場所で水がテーマのオーもやっていたが、こちらは未見)

常設だから出来る大掛かりなセットが売りらしく、広い会場のぐるりに足場を組んで、ステージ以外でも出演者が動き回り、ステージも垂直に立ち上がったり船が出たり、3Dマッピングも取り入れて、ものすごく金のかかったもの。

ストーリーはもう少し練る余地がありそうな感じがしたが、とても楽しめた。

終盤、ヒロイン役の女性がソロで踊りを披露する場面でバトンを一度落としてしまったのだが、個人的にはこのことによって、"当然の様に超人的なパフォーマンスをする集団"という一種飽和した状態に緊張感が出た様に思え、やはりものすごく難しいことをやっているのだな、という印象を新たにしたので、これはこれで良かったと思う。

皮肉めいたことばかり書いてしまったが、どちらも見て良かった。

エセレビュアーでした。

アメリカ旅行⑥ラスベガス①

旅も半ば、意識も心なしかアメリカナイズされてくる。

早朝にホテルをチェケラ、イアポーへゴー。

旅行代理店のオバちゃん1号(名前失念。失礼)の指示の元、いざラスベガスへ。

マッカラン空港は噂通り構内にもスロットマシン。
ギャンブラー以外に用は無い街なのだ。

ターミナルビルを出る。熱い。少し肌寒かったサンフランシスコとは正反対の景色が揺らめく様な気温。

空港前の他人のリムジンではしゃぐ私。

タカタ社長ばりに声張りすぎなオバちゃん2号の先導で足を踏み入れたラスベガスは映画の世界。

しかし意外にも今はかなり治安が良いらしい。ジョー・ペシに殺される心配も無いようだ。

(映画「カジノ」)

噂には聞いていたが、ベガスはかなり広大な場所で、イメージとしてはメインストリートを中心に、左右に巨大なショッピングモールぐらいのホテルが林立している感じ。

我々のホテルはモンテカルロ。ベガスの中では中堅になるのだろうか。いいホテルである。

ウィキペディアにはベラージオホテルとの間のトラムは廃止されたと書いてあったが、ちゃんと動いていた。

さて、ここからははっきり言ってほとんどカジノに入り浸りだった。
紳士は自分の情事と他人のギャンブルの勝ち負けについては語らないものである。
なのでカジノについては自分のことだけを書くことにする。

まず自分はバカラというゲームをメインに打とうと思っていたのだが、見当たらない。
後で判明するのだが、ラスベガスではバカラは高レートに限られているらしい。

しかしこの時点ではそんなこと知らないので、とりあえずミニマム・ベット(賭け金の下限)が5ドルのブラック・ジャックを見つけて座る。

ディーラーがナイスガイで、いまいちルールのわかっていない自分に、「この場合はヒットするべきじゃない」「スプリットした方がいい」など、言葉や表情でセオリーを教えてくれて、200ドルほど勝つ。

なかなか幸先が良いが、ビギナーズラックは長く続かない気がしたので、ほどほどで勝ち逃げする。

その後、バカラを探してホテルをいくつか回るが、ミニマムベットが100ドル以上のテーブルしか無く、座る気になれない。

ホテルアリアでミニマム25ドルのテーブルを見つけたので座るが、ディーラーの態度があんまりで、大変気分が悪かった。
こちらが勝つと舌打ち、チップを少なく渡す、指摘するとまた舌打ち、大きく勝つと苦々しい表情でオーマイガッとつぶやく。
腹が立ったので勝っても負けても最後にしようとバンカーに300張ると無欲の勝利。この流れにもう少し乗ろうかとも思ったが、ディーラーチェンジは無い様なのでやはり立つことにする。

そこで隣のテーブルに移ったのだが、気付かず座ったそこはミニマム50ドル。
仕方なく1枚ずつ貼っていくが、本線は50ドル、ペアは5ドル。ペアで勝っても本線を負けるとちょい損という厳しい勝負なので、長居せずに勝ち逃げする。

このレートでは軍資金を増やさないことには勝負出来ない。何かで手堅く増やせないだろうか、と思ったのが間違いの始まりだった。

つづく

アメリカ旅行⑤サンフランシスコ④

その後、全員集合してSUPER DUPERというバーガー屋で昼食を取り、

ブルーボトルコーヒーに行き、

パンケーキを食べ、

GOYARDで全員連名の土産を買い、

ケーブルカーで再びフィッシャーマンズ・ワーフを目指す。

(やらせ写真。実際にこう乗ると降ろされる)

音源に合わせてドラムを叩きながら歌う大道芸人ボブ・マーリーを聞きながら、日の暮れかかるアルカトラズ島を見つめる。

実はこの島を見に行くことが個人的に一番の目的だったのだが、直前に電話をしてみたら、予約が2ヶ月前から一杯とのことだったのだ。残念極まる。

(映画「アルカトラズからの脱出」)

ドラム・マーリーにチップを渡すSさんらと合流し、日本の軍艦を何隻も沈めた米潜水艦を見学してきたというHさんを売国奴よばわりした後、自分も見に行く。





15ドルなり。

そして夕食は有名店(らしい)アリオトス。

個室でたくさんの料理を食す。
ギャルソンの男性が男前だった。

(イメージ画像)

満腹でタクシーに乗り込み、ホテルへ。
翌日からラスベガスの為、すぐに眠る。

つづく

アメリカ旅行④サンフランシスコ③

サンフランシスコ2日目。さてこの日から旅に暗雲が立ち込め始める。

まず朝は全員で街に繰り出し、何か忘れたがバーガーチェーンでバーガーを食す。
味は普通。

その後、自由行動。街中でショッピング。
サンフランシスコはゲイピープルにオープンなタウンで(何故かルー大柴っぽくなる)、その象徴がレインボウカラーだと言うことは前述のイシカワさんから聞いていたのだが、確かにメインストリートには巨大な虹色の旗が風にはためいている。

前半は主にEさんと2人でデパート等を回っていたのだが、何度もTシャツを背中に合わせてあげたりしていたため、ムキムキ&ヒゲのEさんと小柄な私は周囲から微笑ましく見られていたかもしれない。

それから少し単独行動をした後、別のメンバーとアメリカンイーグルで合流したのだが、そこを出たところで黒人B-BOYに声をかけられ、何やらよくわからない内にCDを渡される。

これは無料か、と聞いたら無料だ、と言うので、他のメンバーは関わらない様にしていたが、自分はわからなくても英語を話すのが旅のテーマだったので、色々会話をしてみる。
昨晩シティライツで買った本が「HIPHOP FAMILY TREE」だったことも心が緩んでいた原因だったかもしれない。

曰く、自分は日本の基地にいたことがあり、ヒップホップが好きだ。日本での名前はショウキチだ。このCDを聴いてくれ。日本でも人気のジャズヒップホップだ。例えばシーモとか。ザ・ルーツ?そうだ、ザ・ルーツみたいなやつも入っている。お前の名前をこのCDにサインしてやる。サラサラサラ。漢字も書いてみてくれ。

と、シーモはジャズヒップホップでは無いだろうと思いつつも、必死でヒアリングしている内に名前を書かされてしまい、(今思えば)それを見計らった様に、2メーター以上ある別の黒人が登場して代金を要求される。顔が近い。怖い。

お前の名前をサインしたからお前専用だ、買い取ってくれ。と、巧妙な?手法で金銭を要求される。仕方なく財布を出すと、思わぬ高額を要求されたのでノーノーノーと言いつつも、もう一人小柄かつ身のこなしの軽やかな奴が出てきて取り囲まれ、逃げられない状況。
20ドルを取られ、モアモアモアと言われ、200ドルくらい要求され、そんなに出せない、と必死で言う。

すると何故か最初に話していたショウキチが2メーターに、そんなに取っては可哀想だ、と言い出し、小競り合いの末60ドルに決定し、巻き上げられる。

まあ、いい経験をしたな。CDはもらえたからただのカツアゲよりマシだな。撃たれなくてよかったな。

と、自分を慰めつつ、一度ホテルで休もうと歩き出すが、「黒人&でかい=どうやっても勝てない」という図式があらかじめ自分の中で出来上がっていたため、あまり屈辱感はなかった。

それにしても最後のショウキチの仏心は何だったのか、ただの茶番か、と思っていると、ほどなくして、メンバーの一人からLINEが。

「CDを150ドルで買わされた」

とのこと。何と気の毒なことか、と思いつつ、自分だけが不幸ではないことに少しホッとする。

しかし、同一犯なのは間違いないが、この金額差は何なのか。
ショウキチのおかげなのか。

複雑な思いがさらに深まる。

…ショウキチよ、ありがとうを言う義理は無い。真面目に生きろ。

つづく

アメリカ旅行③サンフランシスコ②

その後なんやかんやあって、夕食を取る為に中華街へ。

地図を見ると、途中に有名なシティライツが近くにある様なので向かう。

本は新刊ペーパーバックが主で買える物はあまり見当たらなかったが、せっかくなのでお土産に1冊と店のノベルティ缶バッジを買う。

そして、Great Eastern Restaurant へ。

ここは自分が日頃放置しているSNSなどを駆使して評判を聞いていたところ。


名物の、

で有名なダンジネスクラブの料理2種他、炒飯2種、北京ダックなどなど豪勢な晩餐。

生まれてはじめて蛙を食べる。旨い。


店を出る頃には陽もとっぷりと暮れ、

ブラブラ歩いてホテルへと帰る。
中華街は高台にあるため、夜景が一望できる(しかし写真は撮っていない)

ケーブルカーの線と、外に非常階段の付いたレトロなビルがたくさん立ち並ぶ夜のサンフランシスコは美しかった。

(画像はネットから拾ったもの。でもこんな感じ)

大人数ということもあってか、夜の街もトラブルなし。
帰り道にマイクロソフトの巨大なビルがあった。

シャワーヘッドが何故取れないのか憤りつつも風呂へ入り、この日は眠る。
翌日のベッドメイク用チップはSさんが2人分出してくれた。

つづく